A……逆らうつもりか?


side 修吾


目の前の三十代後半の男、東陽 卓が椅子に着いてから俺もテーブルを挟んだ対面に座った。

そこへ、気を利かせた案内係の女性がお茶を運んでくる。

本来この様な事を彼女に頼むことは無い。ちゃんとしたお客や特別な取引先相手の場合は給仕にしてもらっている。

だが今はそのどれでもない。そこまで気にかけるような相手じゃない。東陽だ。

呉羽には言ってないが用件は聞かずとも分かっている。

東陽は出された茶を一口口に含み、話し出す。

「いやぁ、羽崎様には優秀な部下が大勢いらっしゃって羨ましいですなぁ」

「いえ、そうでもありませんよ」

俺は謙遜気味に苦笑を浮かべて返す。

まぁ、アンタん所に比べりゃそうだろな。第一俺はアイツ等を簡単に切り捨てられるような、代えの利くただの部下とは思ってねぇし。アンタと違ってな。

「特に貴方の秘書。呉羽さんは何でもそつなくこなせて。その上、文句無しの美人じゃないですか」

それは俺も同感だが、アンタに言われたくねぇし、アンタの口から呉羽の話が出てくるのは聞いてて不愉快だ。

「えぇ、俺には勿体無いぐらいです」

しかし、俺が思ってる事と別に微笑を浮かべて同意してやれば、東陽はニマリと笑った。

「ちょっと小耳に挟んだんですけどねぇ。呉羽さんは前総帥に恩があるとか。それを返すためにこちらで働いているとか」

「そうですね。それは事実ですが、今呉羽が何を思って俺の元で働いているのかは本人に聞かないと分からないですけど」

そう、それは俺にも分からない。俺としてはそれだけじゃねぇと思いたいが。

「そこでですね、そろそろ呉羽さんを自由にしてあげたらいかがでしょう?うちなら彼に…」

やはり、用件はそれか。俺は東陽のくだらない口上を遮る。

「自由?貴方はおかしなことをおっしゃる。呉羽は自分で選んで俺の元にいるんですよ?」

理由はどうあれそれに間違いはない。不満があれば呉羽は俺に言うし、まぁ、俺が聞くかどうかは別にして。嫌ならいつ辞めたって構わないのだ。

そう返せば東陽も負けじと言い返してくる。

「ですが、それは根底に恩があるからそうしてるだけじゃないですか?」

そこまでして呉羽が欲しいか?

俺は東陽の言い分にだんだん苛立ってきた。

「では、こうしましょう。呉羽本人に聞いてはどうでしょう?」

本当はアンタなんかに会わせたくねぇんだがな。

俺は部屋に設置されている内線で呉羽がいる秘書室に電話を掛けた。







side 呉羽

秘書室で休憩していれば修吾から内線が掛かってきた。

「はい、わかりました。直ぐ行きます」

ガチャリ、と受話器を戻して椅子から立ち上がる。

来るなとか、来いとか、修吾も忙しい奴だな。

辿り着いた応接室の扉をノックし、失礼しますと言って入る。

「仕事の途中に悪いな」

修吾が態とらしく俺にそう言う。その後に、このクソジジィが、と付いているのも数年の付き合いからか読み取れる。

だから、俺も修吾に合わせ首を横に振った。

「いいえ、大丈夫ですから」

実際仕事なんかしていなかったし。

時と場合によっては多少の嘘も付く。

俺がいつも通り修吾の側へ立とうとしたら、修吾がそれを止めさせた。

なぜ、と視線で問えば修吾は自分の隣を指す。

「こっちに座れよ。東陽さんは呉羽に聞きたいことがあるそうだ」

俺は一瞬戸惑いながらも修吾に促されて隣に座る。

「私に聞きたいこと、ですか?」

今まで何の話がなされていたのか皆目検討もつかない俺は、対面に座る東陽に視線を向けた。

東陽はえぇ、と微笑み口を開く。

「呉羽さんは別の場所で働く気はありませんか?こう言うのも失礼ですが、羽崎様に大恩があるとはいえ、それだけで御自分の進む道を決めてしまうのは如何なものかと…」

「…………」

簡単に要約すれば俺を引き抜きたいと?東陽の元にいけば、何でもさせてやる、と?

俺は隣で微笑を称えたまま、無言で話を聞いている修吾にちらりと視線をやる。

表情には出ていないがこれはさぞかし怒っているに違いない。

かく言う俺も、内心では今の発言に怒りを覚えた。

それではまるで俺が恩を返すためだけに、仕方無くココにいるみたいじゃないか。

俺は東陽の考えているような聖人君子じゃないし、俺は強制させられてココにいるわけでもない。

恩があるのは本当だけど今、この場に、修吾の側にいるのは紛れもなく俺の意思で、俺が自分で選んだ道だ。

俺が黙り込んだのをどう思ったのか東陽は更に言い募る。

「やはり羽崎様の前では言いにくいですかな?」

「いえ、そうではなくて突然の事で驚きまして。私にそんな事を仰られたのは貴方が初めてですよ」

そして、俺は続けて言う。

「東陽様が私を気遣ってそう言って下さるのは本当に有り難いと思います。ですが、私は何も恩返しの為だけに羽崎様に遣えているわけではありません。そこは間違えないで下さい。私は私の意志でこの場にいるのです」

俺が東陽の目を確り見つめて、断言すれば東陽も諦めたのか苦笑を浮かべた。

「呉羽さん本人にそこまで言われたんでは仕方ありませんねぇ。いやはや羽崎様は羨ましい限りです」

修吾は、それほどでも、と笑って返した。







side 修吾


東陽が帰った後、俺達は執務室に戻った。

俺は椅子に深く座り、溜め息を吐く。

あのクソジジィまだ諦めてねぇな。

帰り際、呉羽に今度は二人きりでお話がしたいですなぁ、とかなんとか言いやがって。

呉羽はやらねぇっつの。

俺は給湯室で紅茶を淹れている呉羽の後ろ姿を見つめた。

「どうぞ。お疲れ様でした」

呉羽は東陽の誘いに、社交辞令か本心か、そうですね、と返していたが。

俺は紅茶を置いた呉羽の腕を掴む。

「羽崎様?」

そして、不思議そうに首を傾げた呉羽に俺は咄嗟に行くな、と言っていた。

「え?あの、私は別に何処にも行きませんが…」

「そうじゃなくて。あのクソジジィと二人きりで会うな。呼び出されても会いに行ったりすんなよって言ってんだ」

18にもなって、自分が子供みたいな我が儘を言ってるのは分かってる。

「あの、ですが、私は…」

それで呉羽を困らせていることも。

それでも…、

それでも俺は呉羽を手放したくない。

だから、

「……逆らうつもりか?」

この言葉でお前を引き留める。



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